仏教の「涅槃寂静」とスピリチュアルの「肉体を持ってアセンション」

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という言葉は、仏教における理想の境地を表す重要な概念です。涅槃寂静とは、一言で言えば「煩悩が完全に消え去り、心が静まり安らかな境地」を意味します。この言葉の深い意味と背景を掘り下げ、私たちの日常生活にも役立つ仏教の知恵を探ってみましょう。

涅槃寂静の意味

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、二つの言葉が組み合わさったものです。

  • 涅槃(ねはん): サンスクリット語の「ニルヴァーナ」に由来し、「吹き消すこと」や「消滅」を意味します。これは、欲望や執着、煩悩という燃えさかる炎を消し去った状態を指します。
  • 寂静(じゃくじょう): 「心が静まり、安らかな状態」を表します。

つまり、涅槃寂静は「煩悩が消え去り、完全な平安を得た状態」を意味します。この境地に至ることが、仏教の最終的な目標であり、輪廻転生の苦しみからも解放されるとされています。

涅槃寂静と仏教の基本教義

仏教の教えには、「三法印」や「四法印」と呼ばれる重要な教義があります。その中でも涅槃寂静は中心的な役割を果たしています。

三法印

仏教の基本的な教えを三つにまとめたものです。

  1. 一切皆苦(いっさいかいく): 「一切」はすべてのこと、「皆苦」はすべてが苦であるという意味。この苦しみに正面から向き合うことで、真の幸福への道筋を照らし出す羅針盤です。これは単に悲観的な世界観を提示するのではなく、苦しみの本質を理解し、そこから解放されるための第一歩となる、希望に満ちた教えです。「一切皆苦」は、まず苦しみをありのままに受け入れることから始まります。苦しみから目を背けるのではなく、その存在を認め、深く理解することで、私たちは初めて苦しみから解放される道を探ることができるのです。
  2. 諸行無常(しょぎょうむじょう): すべてのものは変化し続ける。変化を受け入れる。すべてのものは変化し続けるという真理を理解することで、私たちは変化への恐れを克服し、しなやかに生きていくことができるのです。
  3. 諸法無我(しょほうむが): すべての存在や事象は独立した永続的な自我を持たないという意味。これは、我々が「私」として認識するものが、実際には多くの要因や条件によって形成されており、恒常的な存在として捉えることができないという考え方です。この教えは、人々に自我や執着からの解放を促すものとして伝えられています。私たちが日常で感じる「私」という意識や感覚も、さまざまな要因や条件によって形成されているものであり、恒常的な「私」や「自我」は存在しないという考えを示しています。この教えは、我々の執着や苦しみの原因となる自我の観念を超え、真の自由や平和を得るための指針となります。

四法印

三法印に「涅槃寂静」を加えたものです。

  1. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう): 煩悩が消え去り、安らぎを得ること。

これらの教えは、人生の苦しみを理解し、その苦しみから解放される道筋を示しています。

四苦八苦とは?

仏教では、人生の苦しみを具体的に「四苦八苦」として説明しています。

四苦

  1. 生(しょう): 生きること自体の苦しみ。
  2. 老(ろう): 老いることの苦しみ。
  3. 病(びょう): 病気による苦しみ。
  4. 死(し): 死にゆくことの苦しみ。

八苦

四苦に以下の四つを加えたものです。

  1. 愛別離苦(あいべつりく): 愛する人と別れる苦しみ。
  2. 怨憎会苦(おんぞうえく): 憎い人と出会う苦しみ。
  3. 求不得苦(ぐふとっく): 欲しいものが得られない苦しみ。
  4. 五蘊盛苦(ごうんじょうく): 心身の働きから生じる苦しみ。

これらの苦しみを超越するために、仏教では涅槃への道を説いています。

涅槃に至るための道:八正道

お釈迦様は、涅槃に至るための具体的な方法として「八正道(はっしょうどう)」を説きました。これは、正しい生き方を示す八つの道です。

  1. 正見(しょうけん): 正しい物事の見方、ありのままに見ること
    私たちは、人をねたんだり、恨んだりしますが、その前に因果の道理を良く知り、自分の起こした種まき(原因)をあきらかにしなければなりません。
    そして、自分の考え方が間違っていたことを知りことです。たとえば、自分の命や幸せはずっと続くように思っていますが、諸行無常ですから、続きません。
  2. 正思惟(しょうしゆい): 正しく考えること、正しい意志を持つこと
    仏教では、私たちの行いを心と口と身体の三方面から見られます。これを身口意(しんくい)の三業(さんごう)といいます。その3つの中でも、最も重要なのは、心の行いである意業です。なぜかというと、口や身体は、心が銘じてしゃべったり、行動したりするからです。その最も大切な心で、私たちは、欲や怒りや愚痴の煩悩によって、よこしまなことばかり考え、それが口や身体に現れて、不幸や災難をまねきます。そこで、正思惟(しょうしゆい)とは、心で欲と怒りとねたみやうらみを離れることです。欲や怒りやねたみ、うらみを離れた正しい思いを正思惟といいます。
  3. 正語(しょうご): 正しい言葉(嘘や悪口、誹謗中傷、二枚舌を避ける)。
    心にもない言動、二枚舌、悪口、嘘偽り離れる必要があります。つまり有益なことを語り、他の人を協力させるようなことを言い、正しく称讃したりあたたかい言葉をかけることも良いでしょう。一言で言えば、悪いことを語らず、善いことを語るのが正語です。
  4. 正業(しょうごう): 正しい行い(殺生や盗みを避ける)
    生き物を慈(いつく)しみ、困っている人には手を差し出し、不倫はしないなど。悪いことをせずに善いことをすること。
  5. 正命(しょうみょう): 正しい生活(適切な手段で生計を立てる)
    悪い生活を「邪命じゃみょう」といいます。出家の人でいえば戒律(かいりつ)を守り、正しい生き方をするということです。在家の人なら、悪いことをして稼ぐのではなく、世の中に貢献するようなまっとうな仕事をして生活することです。また、規則正しい生活をするのも正命です。出家や在家にかかわらず、まずは決まった時間に起床をして、食事の時間や仕事、休憩、消灯時間などを規則的にします。
  6. 正精進(しょうしょうじん): 正しい努力をすること
    「正精進」には、最初に「正」とありますように、努力は努力でも間違った努力では、「正精進」にはなりません。例えば泥棒の腕を磨くのに努力するとか、人を殺す兵器の開発に努力するというのは、邪精進であり、懈怠(けたい)です。〈行わなければならないことがあるにもかかわらず,これを怠ること〉あくまでも正しい方角に向かっての努力である必要があります。
    正精進は四精勤(ししょうごん)とも言い、努力精進の4つの在り方を示しています 1つには、すでにやっている悪をやめること、2つには、まだしていない悪はしないこと、3つには、いまだしたことのない善をすること、4つには、すでに実践している善はますます質も量も向上させることです。要するに悪いことをやめて、善いことをする努力です。
  7. 正念(しょうねん): 正しい信念を持つこと
    「念」とは憶念(おくねん)ともいいます。憶えていて忘れないことです。不忘ともいわれます。世間ごとへの欲望を離れて、仏教に教えられる本当の生きる目的を常に忘れず、その信念にしたがって生きることです。
  8. 正定(しょうじょう): 心をしずめて、一つに集中すること 瞑想、禅定(ぜんじょう) 1~7をまとめる力

四諦(したい)と涅槃(ねはん)

お釈迦様が初めて説いた「四諦(したい)」は、涅槃に至るための基本的な教えです。

  1. 苦諦(くたい): 人生は苦しみに満ちている。
  2. 集諦(じったい): 苦しみの原因は煩悩や欲望にある。
  3. 滅諦(めったい): 煩悩を消せば苦しみはなくなる(涅槃の実現)。
  4. 道諦(どうたい): 苦しみをなくすための道が八正道である。

四諦は、人生の苦しみを根本から解決するための枠組みであり、涅槃への道筋を明確に示しています。

即身成仏の考え方

仏教には、「即身成仏」という概念もあります。これは、日常生活を送りながら、煩悩を超えて悟りを得ることを意味します。特に密教では強調される考え方です。

スピリチュアルの「肉体を持ってアセンション」との関連性

最近のスピリチュアルでは「肉体を持ってアセンション」という言葉を耳にすることがあります。これも仏教の教えと似た部分があります。

スピリチュアルの文脈では、魂(意識)は肉体を持ったままアセンション(次元上昇)できるとされますが、これはエゴ(自我)を超越することを求めています。仏教でいう涅槃寂静に近い考え方です。肉体を持ってアセンションすることができれば、輪廻転生の必要がなくなるのです。

仏教の涅槃寂静も同じことを言っているので、同様でしょう。

涅槃寂静を日常に活かす

涅槃寂静は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。煩悩や欲望に振り回されず、心を静める努力をすることで、日常のストレスや不安から解放されるきっかけとなるでしょう。

涅槃寂静という壮大な境地を目指すことは簡単ではありませんが、小さな一歩を積み重ねることで、心の平安に近づくことができるはずです。今日から仏教の教えを少しずつ生活に取り入れてみてはいかがでしょうか?

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です