日本建国の聖地・橿原神宮

ここから日本という国が始まった

 日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。天照大神〈あまてらすおおみかみ〉の子孫である神日本磐余彦火火出見天皇〈かむやまと いわれひこ ほほでみのすめらみこと/※後の神武天皇〉が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山〈うねびやま〉東南の麓に橿原宮を創建されました。
 天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神(たかひむすび)の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されています。

第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,684年前(2024年現在)のことです。
神武天皇即位紀元(じんむてんのう そくいきげん)は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法です。
『日本書紀』の記述に基づき、元年を西暦(キリスト紀元)前660年としています。

昭和13年(1938年)に発行された五十銭紙幣 神武天皇即位紀元で「紀元二千五百九十八年」と記載されている。
つまり、1938年-2598年=紀元前660年=神武天皇即位紀元で元年です。

日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。

神武天皇から現在まで1度も王朝交代がなく、今上天皇で第126代と「万世一系(ばんせいいっけい)」を保っています。

ちなみに、神武天皇の即位は旧暦で紀元前660年の1月1日ですが、明治時代に新暦に換算して2月11日ということになり、それが建国記念日になりました。
日本の歴史においては、縄文時代後期から弥生時代前期に当たります。
神武天皇は、日本書紀では127歳、古事記では137歳まで生きたと言われています。
そして神武天皇のお墓は、奈良県橿原市(かしはらし)にある橿原神宮にあります。
橿原神宮は『日本書紀』などの伝承をもとに、明治時代に創建されました。

神武東征(じんむとうせい)は、日本神話における初代天皇・神武天皇が、大和地方(現在の奈良県)を目指して九州から東へ進軍し、各地を征服して日本を統一したとされる物語です。この神話は『古事記』や『日本書紀』に記録されており、神武天皇が初代天皇として即位したとされる紀元前660年が日本の建国の起源とされています。

神武東征の概要

  1. 出発と目的
    • 神武天皇(日本神話のイワレヒコ)は、日向(現在の宮崎県)に生まれました。彼は兄と共に日本を統治するため、東方の「豊かな土地」とされる大和地方に向かうことを決意しました。
  2. 西から東への進軍
    • 神武天皇は、九州から瀬戸内海を経由して、現代の広島や大阪方面を進軍しました。途中、熊野(現在の和歌山県)を通り、大和地方を目指しました。
  3. 戦闘と困難
    • 進軍中、様々な部族との戦闘や自然の困難がありました。特に大阪湾付近での「長髄彦(ながすねひこ)」との戦いが有名です。この戦いでは、神武天皇の軍勢は一度敗北しますが、後に天照大御神の加護を受け、再度熊野から攻め直し、最終的に大和を征服しました。
  4. 天皇としての即位
    • 大和を統一した神武天皇は、紀元前660年に「橿原宮(かしはらのみや)」で即位し、これが日本の初代天皇とされています。これが日本の建国の始まりとされ、2月11日は「建国記念の日」として祝われています。

神武東征の意義

神武東征は、日本の建国神話であり、神武天皇が天皇家の祖であることを示す物語です。この物語は、日本の天皇制と国の始まりに神聖な意義を持たせるための象徴的なものと考えられています。ただし、これはあくまで神話であり、歴史的事実としての証拠は乏しいです。

歴史的背景と影響

神武東征は神話としての意味が大きい一方で、古代日本の統一過程を示唆しているとも考えられています。実際の歴史では、様々な部族が争いながら統一されていった可能性があり、神武天皇の物語はその過程を象徴的に表現していると見なす学説もあります。

神武東征の主なルート

九州の高千穂に生まれ東征を経て大和の国に入りました。
神武東征(じんむとうせい)のルートは、神話の中で初代天皇である神武天皇が大和(現在の奈良県)に進軍して日本を統一したとされる物語です。
このルートを現代の地図に当てはめると、以下のような経路となります。

  1. 出発地日向(ひゅうが)国(現在の宮崎県)
    • 神武天皇は日向の高千穂から出発しました。
  2. 豊国(とよのくに)豊後水道(ぶんごすいどう)を経て現在の大分県付近へ。
  3. 筑紫国(つくしのくに) – 現在の福岡県を経由。
  4. 安芸国(あきのくに) – 現在の広島県に上陸。
  5. 吉備国(きびのくに) – 現在の岡山県周辺。
  6. 浪速(なにわ)国 – 現在の大阪府周辺。ここで敗戦を経験。
  7. 熊野(くまの) – 現在の和歌山県から再出発。大和国まで八咫烏が導いたされる。
  8. 大和(やまと)国 – 現在の奈良県。最終目的地であり、ここで日本の統一が成し遂げられたとされています。

このルートは主に西日本を中心とした経路で、現代の九州から近畿地方にかけての地域を通っています。

熊野那智大社(世界遺産)と八咫烏(ヤタガラス)

熊野那智大社は、熊野三山の一つで、紀伊半島にある重要な神社であり、世界遺産にも登録されています。
この神社は熊野信仰の中心の一つであり、古くから霊的な巡礼地として知られています。

八咫烏(ヤタガラス)とは?

八咫烏(やたがらす)は、神武天皇の東征の際に、神武天皇を大和の橿原まで導いたとされている伝説上の烏のことです。
日本神話に登場する三本足の大きな烏(カラス)です。
八咫烏の八咫というのは大きいという意味で、中国では昔から八咫烏は3本の足を持った烏で太陽の象徴とされています。
特に神武天皇の東征において重要な役割を果たした神獣として知られています。
神武天皇が熊野の地に入った際、道に迷いましたが、八咫烏が天照大御神から遣わされ、天皇を導き、大和へと無事にたどり着くことができたという伝承があります。

熊野那智大社と八咫烏の関係

熊野那智大社は、熊野三山の一つとして熊野信仰の中心的な役割を担っていますが、熊野信仰には八咫烏が象徴的な存在として深く関わっています。熊野那智大社や熊野本宮大社など、熊野三山の神社では八咫烏がしばしば神の使い、あるいは導き手として崇められています。

具体的な関連点:

  1. 神武天皇の導き手
    • 神武天皇の東征において、熊野の地で八咫烏が道案内をしたという神話は、熊野那智大社の神聖さと深く結びついています。この出来事は、熊野信仰が国家の始まりに関わる重要な場所としての地位を強調しています。
  2. 八咫烏の象徴
    • 熊野那智大社の神紋やお守り、神社のシンボルには八咫烏が描かれることが多く、その姿は神の導きや知恵、正しい方向を示す存在として崇拝されています。また、八咫烏はサッカー日本代表のシンボルとしても採用されており、強さや勝利の象徴として広く知られています。
  3. 熊野古道と八咫烏
    • 熊野古道を歩く巡礼者にとって、八咫烏は道を導く存在として重要視されています。古道を巡る中で、八咫烏が正しい道へ導いてくれるという信仰が根強く残っています。

熊野那智大社と八咫烏の意義

八咫烏は、熊野の神々と深く結びついているだけでなく、神武天皇を導いたという歴史的な役割を通じて、日本全体の国家的なシンボルとしても重要です。その導きの象徴として、熊野那智大社を訪れる多くの巡礼者や観光客にとっても、八咫烏は神聖で力強い存在とされています。

日本は世界で最古の国

日本は、長い歴史と文化を誇る国として知られています。特に、天皇制の継続性において、他に類を見ない独自の存在感を放っています。歴史的にも文化的にも、日本は「最も古い国」として世界に知られていますが、それは一体どのような意味なのでしょうか?
この記事では、日本が「最古の国」と呼ばれる理由について掘り下げてみたいと思います。

天皇制の連続性

日本が「世界最古の国」と称される最大の理由は、天皇制の連続性です。
日本の初代天皇である神武天皇は、紀元前660年に即位したとされています。この神話的な起源から、現在に至るまで2684年以上もの間、天皇制は断絶することなく続いています。
現在の天皇は第126代天皇となり、この歴史的な継続性は、世界のどの王朝や国家よりも長く続いていることが特筆されます。
「現存する国としては最古」として、ギネスブックにも登録されています。

他の古代文明、例えばエジプトやメソポタミア、インド、中国なども非常に古い歴史を持っていますが、これらの文明は時代とともに支配者や政治体制が何度も変わり、断続的な発展を辿ってきました。それに対して、日本の天皇制は歴史の変遷を乗り越え、今日まで連綿と続いている点で、独特の存在です。

日本建国神話とその象徴的意義

日本の建国神話である神武東征は、初代天皇である神武天皇が大和地方を統一し、国を建てたという伝説に基づいています。この紀元前660年が、後に日本の公式な建国年として定められました。この物語は、日本が神々によって導かれた神聖な国であるという象徴的な意味を持ち、日本の国家アイデンティティに深く根付いています。

また、天皇が神の血を引く存在として認識されてきたことも、日本の天皇制が絶大な尊敬と権威を持ち続ける要因の一つです。神話的要素と歴史が交錯することで、日本の天皇制は特異な文化的・宗教的基盤を持ち、国民の信仰や国の安定に寄与してきました。

世界遺産としての文化的遺産

さらに、日本には古代からの文化遺産が数多く残されています。伊勢神宮法隆寺熊野古道などは、何世代にもわたって維持されてきた神社や寺院、巡礼の道です。これらの遺産は、ただ単に歴史的価値があるだけでなく、今もなお日本人の日常生活や宗教行事に深く関わっています。

また、これらの遺産は国際的にも高く評価され、多くがユネスコの世界遺産に登録されています。特に、自然と文化が融合した独自の信仰体系が続いていることが、日本の文明の独特さを際立たせています。

「最古の国」という意味

「世界最古の国」としての日本は、単に長い歴史を持つ国というだけではありません。連続性がその本質にあります。天皇制の継続だけでなく、文化や信仰、社会構造が時代を超えて引き継がれ、現代にまで続いている点が、日本を他国と一線を画す特徴です。

歴史の中で何度も戦争や災害、変革があったにもかかわらず、基本的な社会構造が大きく崩れずに存続してきたことは、奇跡的とも言えるでしょう。この連続性こそが、日本が「世界最古の国」として認識される理由の一つです。

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関西でも有名な龍神神社の参拝も含まれています。

参拝する神社

今回は「★」印を中心に観光します。

★伊勢神宮

★橿原神宮

大神(おおみわ)神社

★室生龍穴神社

★談山(たんざん)神社

その他問い合わせ

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