2024年衆議院選挙 自公の大敗からの政界再編と巨大地震

非自民・非共産連立政権

自由民主党日本共産党を除く政党による連立政権。特に1993年平成5年)の第40回衆議院議員総選挙前に広く喧伝され、選挙後の細川内閣羽田内閣として具体化したものを指す。

新党ブームで躍進を起こした日本新党代表であり、8党連立政権の首班に指名され、自民党55年体制を終わらせた、またこの細川内閣時に選挙制度が小選挙区比例代表並立制へと変わった。

野党、自民党と共産党

1993年(平成5年)6月18日、宮澤喜一内閣不信任案の採決において自民党の反主流派・羽田派造反して賛成、可決し、衆議院が解散嘘つき解散)される。羽田派とユートピア政治研究会が自民党を離党して新生党新党さきがけをそれぞれ結党して自民党は分裂、第40回衆議院議員総選挙(7月18日投開票)では、自民党は2党の議員の分だけ議席を減らし、公示前よりは増えたものの獲得議席数は全体の4割余りに終わった。一方、自民党から飛び出した新生・さきがけは議席を確保、同じく躍進した日本新党とともに『新党ブーム』と呼ばれた。

自民党は日本新党、新党さきがけの両党と連立交渉に入ったが、非自民の政党が集まれば自民一党の議席数を上回る状況であったため、新生党代表幹事の小沢一郎が中心となって非自民連立政権の樹立が図られる。7月29日、社会・新生・公明・日本新・民社・さきがけ・社民連民改連の代表が会談し、連立政権樹立に合意。8月9日、日本新党細川護煕代表が首相に指名され、自民党と共産党以外の8党派による細川内閣が成立した。これにより、自民党は1955年昭和30年)の結党以来維持して来た政権与党の座から下野した。

引用ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E8%87%AA%E6%B0%91%E3%83%BB%E9%9D%9E%E5%85%B1%E7%94%A3%E9%80%A3%E7%AB%8B%E6%94%BF%E6%A8%A9

・村山内閣、自社さ政権では1995年阪神淡路大震災が起きた

自社さ政権とは

「自社さ政権」は、1993年から1994年にかけて日本で成立した自民党(自)、社会党(社)、新党さきがけ(さ)による連立政権を指す。この政権は、細川護熙(もりひろ)政権(1993年8月9日- 1994年4月28日)の後を受けて成立したもので、村山富市(社会党)が内閣総理大臣を務めた。自民党と社会党という、戦後の日本政治で長く対立してきた保守と革新の二大政党が共に政権を担ったという点で、大きな話題となった。

背景と特徴

  1. 背景
    1993年の衆議院選挙で、自民党は政権を失い、非自民勢力による細川護熙政権が発足した。しかし、細川内閣は短命に終わり、代わって自民・社会・さきがけの3党が連立を組み、「自社さ政権」が誕生した。
  2. 1993年の衆議院選挙(6/18) 宮沢内閣解散 
    自民党が223議席、社会党が70議席、新党さきがけが3議席だった。
  3. 主要な政策と動き
    • 憲法問題:自民党と社会党は憲法改正に対する立場が異なりましたが、社会党は憲法第9条を含む日本国憲法を容認する方針に転じた。
    • 国際貢献:村山政権は平和主義を掲げつつ、国際平和活動への参加を進めまた。
    • 経済政策:バブル崩壊後の経済対策として、公共事業の推進や金融安定化策を実施した。
  4. 村山談話(1995年)
    村山内閣は、日本の戦後50年に際し、アジア諸国への植民地支配と侵略を謝罪する「村山談話」を発表した。この談話は、日本の戦後外交や歴史認識において重要な意義を持っている。
  5. 自社さ政権の成立において先導役を務めたのは、当時の自民党幹事長・野中広務や、社会党の委員長・村山富市、そして新党さきがけの武村正義など、各党のリーダーや調整役たち。彼らが連立政権成立に向けて協議を進め、対立してきた自民党と社会党の連携を実現した。
  6. 当時の自民党は分裂状態にあり、党内での指導者争いや路線対立が深刻していた。党内で一致して総理を出す状況が整っていなかったため、社会党の村山富市を総理にして政権の安定を図ることが得策とされまていた。

終焉と影響

1996年に村山内閣が退陣し、橋本龍太郎を首班とする自民党単独の政権が誕生したことで、「自社さ政権」は終了した。この政権は、対立を乗り越えた連立の可能性を示すと同時に、日本の戦後政治の転換期を象徴するものとなった。

1993年の衆議院選挙

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC40%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99

・菅内閣、民主党政権では2011年東日本大震災が起きた

・2024年、衆議院選挙において自公が大敗した後、政界再編となり、3年以内に巨大地震が起きる可能性

・詳しくは『2072年から来た未来人と魂の教室(上下巻)』を参照

・文明の80年周期、日本は「1945年戦後」「1968明治維新」「1787年寛政の改革、1782年天明の飢饉」

享保(きょうほう)の改革(1716-1745年)
8代将軍徳川吉宗が行った一連の政治・経済改革。倹約や年貢の増徴を推進し、農業生産の拡大や金銭経済の安定を目指した。

天明(てんめい)の飢饉(1782-1788年)
寒冷な気候や火山の噴火などが原因で、東北地方を中心に深刻な飢饉が発生した。多くの人々が飢えに苦しみ、各地で百姓一揆が起こった。

寛政(かんせい)の改革(1787-1793年)
老中松平定信(まつだいら さだのぶ)による改革で、農村の復興や道徳の重視、貧民救済などが行われましたが、改革は短命に終わった。

・憲法改正は1947年。

現在の日本国憲法の制定日は1946年11月3日。この日に憲法が公布され、翌年の1947年5月3日に施行された。この憲法は、平和主義や基本的人権の尊重、国民主権を基礎とし、特に第9条で戦争放棄を定めていることが特徴。11月3日の憲法制定日は「文化の日」として、祝日になっている。

米国の80年周期

生命(人生)の80年周期

科学技術発展の80年周期

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