1780年代のフランス革命と天明の大飢饉では食糧危機が起きていた

1.フランス革命

フランス革命時(1789年から1799年)には深刻な食糧危機が発生しました。この食糧危機は革命勃発の一因ともなっています。

食糧危機が起きた背景

  1. 気候異常
    1780年代後半、フランスは異常気象に見舞われました。特に1788年の冷夏と長い冬は農作物の不作を引き起こし、食料供給が大幅に減少しました。
  2. 小麦価格の高騰
    フランス国民の主食であるパンの原料となる小麦が不足したため、パンの価格が急上昇しました。
    • 1789年春~夏:パンの価格は前年の2倍以上に跳ね上がり、一般庶民の生活を圧迫しました。
  3. 財政危機
    ルイ16世の時代、アメリカ独立戦争への介入や贅沢な宮廷生活により国家財政が悪化していました。これが農民や労働者への税負担増加につながり、不満が爆発します。
  4. 都市部の飢餓状態
    農村だけでなく、都市部でもパンが不足し、多くの市民が飢餓状態に陥りました。特にパリでは、パン屋が暴徒化した市民に襲撃される事件が頻発しました。

革命への影響

  • バスティーユ牢獄襲撃(1789年7月14日)も、市民が食糧不足や不公平な社会への不満から蜂起(ほうき)した象徴的な出来事です。
  • 食糧危機が庶民の怒りを煽り、王政打倒と共和制への流れを加速させました。

こうした食糧危機は、フランス革命が単なる政治運動ではなく、社会・経済的な要因が複雑に絡み合った出来事であることを示しています。

2.天明の飢饉

天明の飢饉(1782年〜1788年)は、江戸時代に発生した日本史上最悪の飢饉の一つで、深刻な食糧危機を引き起こしました。この飢饉は多くの犠牲者を出し、農村部は壊滅的な被害を受けました。


天明の飢饉の原因

  1. 気候異常(冷害・長雨・干ばつ)
    • 1782年:冷夏による米の凶作が始まりました。
    • 1783年:浅間山の大噴火(6月〜8月)が発生し、火山灰が広範囲に降り注いで農作物を壊滅させました。
      • この年は特に被害が甚大で、「浅間山の年」と呼ばれることもあります。
    • その後も数年間、天候不順が続きました。
  2. 凶作と米価の高騰
    • 凶作によって米が不足し、米価が急騰しました。米を買えない農民や町民が餓死する事態に陥りました。
    • 農民が主食としていた粟・稗(ひえ)・蕎麦なども品薄となり、食料事情はますます悪化しました。
  3. 幕府の財政難
    • 天明の飢饉が発生する頃、幕府の財政はすでに悪化しており、十分な救済策を取れませんでした。
    • 特に東北地方では飢饉が深刻で、各藩も米の買い占めを行うなど混乱が拡大しました。

影響と被害

  1. 大量の餓死者
    • 天明の飢饉では、東北地方を中心に約100万人もの人々が飢餓に苦しみ、多くが命を落としました。
    • 岩手・宮城・福島などの東北地方や信濃国(長野県)では被害が甚大でした。
  2. 農村社会の崩壊
    • 多くの農民が土地を捨てて流民化しました。農村は荒廃し、社会秩序も崩壊しました。
    • 飢えに耐えかねた農民が打ちこわし百姓一揆を起こすケースが増えました。
  3. 食文化の変化
    • この飢饉以降、農村では「救荒作物(きゅうこうさくもつ、サツマイモ・大根・カブなど)」が注目され、飢饉対策として普及しました。

幕府の対応

幕府や各藩は、救済策として米の供給や御救小屋(おたすけごや)の設置を行いましたが、効果は限定的でした。松平定信が1787年に老中となると寛政の改革を実施し、農村復興を図りましたが、完全な回復には長い時間がかかりました。

3.240年周期・80年周期とは?

古代から、歴史は周期的に繰り返されるという考えがありました。たとえば80年周期は、社会や経済、災害のパターンとして指摘されることが多く、人間の世代交代や大規模な社会変革の周期とリンクしていると言われます。
また、240年周期はそれを3回繰り返した大周期として、大きな文明の変化や気候異常が訪れているのです。

歴史を知り、未来を読み解く

歴史の周期性を意識すると、未来を予測するヒントが得られます。
「過去に起きたことは、再び形を変えて繰り返される」とも言えます。天明の飢饉と同じ240年目を迎える私たちは、これから数年間の動きを注意深く観察する必要があるでしょう。特に食糧問題や気候変動に関する情報を敏感に捉え、早めの対策を心がけることが大切です。

私たちは「歴史を知り、備える」ことで、困難を乗り越えることができます。周期の法則が未来を教えてくれるとしたら、そのサインを見逃さないようにしたいものです。

4.マーク・トウェイン(Mark Twain)の名言

マーク・トウェイン(Mark Twain)は、19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ文学の巨星であり、最も著名な作家の一人でした。

本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)で、1835年にミズーリ州フローレンスで生まれました。

彼は特に、アメリカ南部やミシシッピ川沿いを舞台にした作品で知られています。

主な業績と作品

トウェインはそのユーモア、鋭い社会批評、そして人間性への深い洞察で知られています。以下は彼の代表作です。

  1. 『ハックルベリー・フィンの冒険(Adventures of Huckleberry Finn)』(1885年)
    • トウェインの最も有名な作品で、アメリカ文学の金字塔とされています。ミシシッピ川を舞台に、少年ハックと逃亡奴隷ジムが共に冒険を繰り広げる物語です。この作品は人間の自由や平等、奴隷制度への批判が込められ、アメリカ文学における社会的なテーマを扱っています。
  2. 『トム・ソーヤーの冒険(The Adventures of Tom Sawyer)』(1876年)
    • ハック・フィンと並ぶトウェインの代表的な作品で、少年トム・ソーヤーとその仲間たちが繰り広げる冒険を描いています。この作品は、アメリカの少年時代の自由で冒険的な精神を象徴しています。
  3. 『王子と乞食(The Prince and the Pauper)』(1881年)
    • イギリスの王子と乞食の少年が身分を交換し、互いの立場を経験するという物語です。身分制度や社会的不平等をテーマにしており、トウェインの社会批評の一環とされています。
  4. 『死ぬ前に行くべき場所(The Innocents Abroad)』(1869年)
    • 旅行記として知られ、トウェインがヨーロッパと中東を訪れた際の経験をユーモラスに描いています。この本はトウェインの旅行の際の批評的で風刺的な視点が際立っています。

ユーモアと社会批評

マーク・トウェインはそのユーモア、皮肉、社会批判の鋭さで高く評価されています。彼の作品はしばしばアメリカ社会の矛盾、偽善、道徳的問題を鋭く批判します。特にアメリカ南部の奴隷制度や社会的不平等について言及し、その時代のアメリカ社会を風刺しました。

  • ユーモア:彼の作品はシニカルでありながらも笑いを生み出すユーモアが特徴です。彼の筆致には風刺的な要素が多く、特に彼の社会批判は軽妙な語り口で描かれます。
  • 社会批判:トウェインは、アメリカの奴隷制度や人種差別、偽善的な社会制度を強く批判しました。『ハックルベリー・フィンの冒険』では、白人社会の矛盾や奴隷制度を描き、その反人道的な側面を浮き彫りにしました。

名言と哲学

トウェインは数々の名言を残しました。彼の言葉は人間性や社会についての深い洞察を反映しています。

  • 「二十歳の時に自分の父親が愚かだと思っていたが、三十歳を過ぎて、驚いたことに、父親が賢明だと感じ始めた。」
  • 「歴史は繰り返す、しかし最初は悲劇として、次に喜劇として。」(History does not repeat itself, but it does rhyme.)
  • 「私が知っている唯一のことは、私は何も知らないということだ。」

彼の名言には、皮肉ユーモア、そして人間の本質に対する深い理解が表れています。

マーク・トウェイン(Mark Twain)が言ったとされる有名な言葉

「歴史は繰り返す、しかし最初は悲劇として、次に喜劇として。」
(原文:History does not repeat itself, but it does rhyme.

この言葉は、歴史が完全に同じ形で繰り返すわけではないものの、類似した出来事が時間を経て起こることを意味しています。「悲劇」と「喜劇」という表現は、最初の出来事が深刻で痛ましいものであった場合、それが後に別の形で軽妙に現れることを示唆しています。

2025年から私たちはどの世界に向かうのでしょうか。

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