映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』2023年アカデミー作品賞(ネタバレあり)その3

映画『2001年宇宙の旅』のオマージュ

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(エブエブ)では、映画『2001年宇宙の旅』のオマージュが登場します。特に有名な「猿の進化シーン」をパロディ化しています。


『2001年宇宙の旅』の元ネタシーン

『2001年宇宙の旅』(1968年、監督:スタンリー・キューブリック)には、有名な「黎明編(れいめいへん)(Dawn of Man)」のシーンがあります。

  • 原始人類(猿)が、黒いモノリス(謎の石板)と遭遇する。
  • その影響を受けた猿が、動物の骨を道具(武器)として使うことを学ぶ
  • それにより進化の第一歩を踏み出し、人類誕生への道が開かれる。
  • 猿が空に向かって骨を投げると、そのカットが宇宙船へと繋がり、一気に未来へジャンプする有名なマッチカットが登場する。

このシーンは、「知的進化の瞬間を象徴する名シーン」として語り継がれています。


エブエブでのパロディ

『エブエブ』では、このシーンがカオスな笑いに変えられています。

  • 猿の代わりに、ソーセージの指を持つ原始人が登場。
  • 『2001年宇宙の旅』では骨が武器として使われたが、『エブエブ』では原始人たちがソーセージの指を持って進化する。
  • この世界では、人類は指がソーセージのように進化した別の宇宙にいる。
  • ここで示唆されるのは、「ソーセージ指の宇宙では、人類の進化の流れが異なった」ということ。
  • ピアノはソーセージではない足の指で演奏する

つまり、『2001年宇宙の旅』の知的進化のシーンを逆手に取り、「もし進化の結果が全然違うものだったら?」というエブエブ流のマルチバース的なパロディにしているわけです。


エブエブでの『2001年宇宙の旅』の意味

  1. 「進化=最良の選択ではない」ことの皮肉
    • 『2001年宇宙の旅』では、モノリスの影響で知的生命体が進化するが、『エブエブ』ではホットドッグ指になってしまう。
    • これは、「進化は直線的ではなく、無数の可能性がある」というマルチバースの考え方を象徴している。
  2. 人間の取る選択のランダム性
    • エヴリンの世界では、「この宇宙で自分が選ばなかった可能性」=「別の宇宙での進化」が描かれる。
    • つまり、進化もマルチバースの一部であり、「こうなっていたかもしれない」という世界が存在することを示している。
  3. ユーモアとカオスの強調
    • 『2001年宇宙の旅』の荘厳で哲学的なテーマを、『エブエブ』はバカバカしいホットドッグの手で置き換えた。
    • これにより、マルチバースの無限の可能性が「シリアスなものではなく、むしろカオスで滑稽なもの」として描かれる。

『エブエブ』らしい、ぶっ飛んだ発想のパロディですね!

映画『恋する惑星(原題:重慶森林 / Chungking Express)』のオマージュ

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(エブエブ)には、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星(原題:重慶森林 / Chungking Express)』をオマージュしたシーンが登場します。


『恋する惑星』の特徴

『恋する惑星』(1994年)は、香港映画の名作で、スタイリッシュな映像と詩的なセリフが特徴的な恋愛映画です。

  • 孤独な男女のすれ違いと出会いを描く。
  • ネオンが美しい香港の都会的な映像美
  • スローモーション+カラーフィルターの映像表現(特に黄色っぽい光)。
  • 切ないセリフ回しが印象的。

特に、映画の「第2話」(トニー・レオンとフェイ・ウォンのパート)は、スローモーションと独特の色合いで表現される、ロマンチックで切ない雰囲気が特徴的です。


エブエブでの『恋する惑星』オマージュ

エブエブのある並行宇宙で、エヴリン(ミシェル・ヨー)とウェイモンド(キー・ホイ・クァン)の関係が、まるでウォン・カーウァイ映画のような雰囲気で描かれるシーンがあります。

具体的なオマージュポイント

  1. ネオンの光とスローモーション
    • 『恋する惑星』と同じような、青と黄色のネオンに照らされた都会の夜景が使われている。
    • スローモーションで、静かに感情をにじませる映像表現。
  2. ウェイモンドのスーツ姿(トニー・レオン風)
    • ウェイモンドがスーツを着て、洗練された実業家のような姿で登場。
    • これは『恋する惑星』のトニー・レオンのキャラクターに似ている。
  3. セリフの雰囲気
    • もし違う人生を歩んでいたら、私はあなたと一緒になりたかった」というような、切ない運命のすれ違いを強調するセリフ。
    • 『恋する惑星』の「私たちはすれ違う運命だった」というテーマと共通する。
  4. 非現実的なロマンチシズム
    • 『エブエブ』のこのシーンでは、エヴリンとウェイモンドは「別の宇宙で成功した二人」として描かれる。
    • しかし、その成功ゆえに一緒になれなかった、という切ない展開になる。
    • これは『恋する惑星』にある「愛が成就しそうでしない」「すれ違う恋」のテーマと同じ。

なぜこのオマージュが重要なのか?

『エブエブ』はマルチバースをテーマにしながら、「もし別の人生を選んでいたら?」という後悔や切なさを描いています。

  • 『恋する惑星』のパロディシーンは、エヴリンとウェイモンドの「別の人生では一緒になれなかったかもしれない」という運命の切なさを際立たせるために使われている。
  • さらに、ウォン・カーウァイの映像美を取り入れることで、他のシーンとは異なるノスタルジックで詩的な雰囲気を演出している。

映画『キル・ビル』のオマージュ

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(エブエブ)には、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』(Kill Bill)をオマージュした要素が登場します。特に、エヴリンが「カンフーの達人」のバージョンとして活躍する宇宙が、それに該当します。


『キル・ビル』の特徴

『キル・ビル』(2003年・2004年)は、タランティーノ監督による復讐アクション映画で、日本の時代劇やカンフー映画へのオマージュが多く含まれています。

  • 女性主人公(ユマ・サーマン演じるザ・ブライド)が武術の達人
  • カンフーや日本刀アクションがふんだんに盛り込まれる
  • ブルース・リーの黄色いトラックスーツなど、往年のカンフー映画のリスペクト
  • 香港映画や日本映画の影響が強いスタイリッシュな映像

『エブエブ』での『キル・ビル』オマージュ

『エブエブ』の中には、「エヴリンが武術の達人として成功した宇宙」が登場し、これが『キル・ビル』を思わせる演出になっています。

具体的なオマージュポイント

  1. カンフーマスターのエヴリン
    • 別の宇宙では、エヴリンがカンフー映画のスターになっている。
    • 『キル・ビル』のザ・ブライド(ユマ・サーマン)と同じように、カンフーの達人として戦う。
    • カンフーの構えやアクションが、『キル・ビル』の戦闘スタイルと似ている。
  2. 香港映画風の演出
    • 『キル・ビル』は、1970~80年代の香港カンフー映画の影響を受けている。
    • 『エブエブ』のカンフー宇宙も、ワイヤーアクションやスローモーションを駆使したスタイリッシュな演出がされている。
    • これは『キル・ビル』の「オーレン・イシイ(ルーシー・リュー)戦」などのアクションシーンを彷彿とさせる。
  3. クールなビジュアルと色彩
    • 『キル・ビル』では、原色が強調されたスタイリッシュな映像が特徴的。
    • 『エブエブ』のカンフースター宇宙のシーンも、タランティーノ的なビジュアルの影響を受けている
  4. 復讐と強い女性主人公
    • 『キル・ビル』の主人公ザ・ブライドは、復讐のために強くなる女性。
    • 『エブエブ』のエヴリンも、カンフー宇宙では「強い女性像」が強調されている。

『エブエブ』での『キル・ビル』の意味

  • エヴリンの「マルチバースにおける可能性」の一つとして、「もし自分がカンフースターだったら?」という宇宙が描かれる。
  • これは、自分が違う道を歩んでいたらどうなっていたか?というテーマを強調するため。
  • さらに、『キル・ビル』のようなスタイリッシュなアクションを取り入れることで、エブエブの「カオスなジャンルミックス」の一部として機能している。

まとめ

  • 『エブエブ』の「カンフースターの宇宙」は、『キル・ビル』の影響を受けている。
  • 武術の達人の女性主人公、香港映画風の演出、スタイリッシュなビジュアルが共通点。
  • 『キル・ビル』のオマージュを通じて、エヴリンの「別の可能性」を表現し、映画全体のマルチバースの魅力を引き立てている。

タランティーノのカンフー愛を感じる『キル・ビル』が、『エブエブ』でもしっかりと活かされているのが面白いですね!

岩のシーン:生物が発生しなかった世界

映画『エブエブ』の中で、印象的なシーンが登場します。それは、石の姿をしたエヴリンとジョイが広大な山々の中で会話をするというシュールな瞬間です。このシーンでは、石のジョイが「生物発生の条件が揃わなかった宇宙の一つで、ほとんどの宇宙がこうだ」と説明しています。ここでは、生物が発生する環境ではなかったために自然だけが存在している宇宙が描かれています。

このシーンは、人間の世界の小ささを浮き彫りにしています。広い宇宙の中で、生物が存在する場所は非常に小さな存在であることを示しています。

エヴリンは様々なマルチバースを経験する中で、隣にいる石が娘のジョイであることに気づきます。もしかしたら、それまで何年も隣にいながら娘とは気づかなかったのかもしれません。このような考えに触れると、じんわりと感動がこみ上げてくるシーンでもあります。

エヴリンとジョイの会話の中では、「私たちは愚かな小さな人間で、地球が宇宙の中心だと思っていた。しかし実際は、太陽を周回していて、太陽は無数の恒星の一つだった」というように、天動説・地動説について語っています。さらに、今は無数の宇宙の一つであるという事実に対処しようとしていることも言及されています。

マルチバースを知るまでは、エヴリンはまるで天動説のように自分が地球の真ん中にいると思っていました。しかし、今は無数の宇宙(マルチバース)の存在を知っています。新しい発見を重ねることで、私たちは小さくて愚かだと感じることが多いのです。次の偉大な発見があったときには、さらに愚かさを実感することでしょう。

これは、私たちの生活の中でも普遍的なことです。小さな世界しか知らなければ、自分が愚かであることにも気づかないのです。

エヴリンとジョイの関係は、どの宇宙においても良好とは言えません。コインランドリーの宇宙では、ジョイの同性愛を認められないエヴリンが描かれ、殺し合うほど憎み合っている宇宙も存在します。しかし、この岩の宇宙では穏やかな言葉で会話をしています。

「私のせいでごめんね」と謝る石のエヴリンに対して、「ここでは気にしない、ただの岩だから」と答える石のジョイ。このシーンでは、汚い言葉を交わしながらふざけあったり、お互いに励まし合ったりと、人間よりも人間らしい会話が展開されます。

石だからこそ、全ての感情をフラットにして穏やかに話し合えるという描写が非常に興味深いですね。このシーンは、エヴリンとジョイの関係の本質を考えさせる素晴らしい瞬間です。

一日一生:異なる世界線で生きる私たち

「一日一生」という四字熟語は、日々の一瞬一瞬が新たな人生であることを示唆しています。この言葉には、日々の出発点として新しい可能性が広がっているという深い意味が込められていますが、もし私たちが本当に毎日異なる世界線で生きているとしたらどうでしょうか?

想像してみてください。目を閉じて寝て、朝目覚めたとき、あなたは別の世界線にいるのです。昨日の出来事は、今のあなたにとってただの幻影に過ぎず、記憶は錯覚に過ぎないのかもしれません。実際の過去の日々は、あなたが思っているほど確かなものではなく、本当は存在しないのです。

このような視点で見ると、毎日が新しい挑戦や経験の連続であることがわかります。今までの価値観や常識が一瞬で覆されることもあります。今日の選択が、未来のあなたの人生に大きな影響を与えるかもしれませんが、同時に昨日の自分とは全く違う存在になる可能性も秘めています。

この世界線の移動は、私たちに柔軟性をもたらします。毎日が新しいスタートであり、毎晩寝ることで、心の中でリセットされるのです。だからこそ、過去の出来事にとらわれず、新たな挑戦を受け入れることができるのです。

「一日一生」という言葉を胸に刻みながら、私たちは毎日異なる世界線での人生を歩んでいます。この新しい視点を持つことで、より豊かで意味のある毎日を過ごすことができるかもしれません。今日もまた、あなたにとって特別な一日が始まります。

映画の中の名台詞

この映画は、単なるアクション映画ではなく、多元宇宙と人生の選択、そして私たちの生きる意味を問いかける作品です。ここでは、その中でも特に印象的な名台詞を紹介しましょう。


小さな決断が人生を大きく変える可能性を見下している

私たちは日常の小さな選択を軽視しがちだ。しかし、些細な決断の積み重ねが未来を形作る。もし、あの時違う選択をしていたら?無限に広がる可能性の中で、今この瞬間に選ぶことができるのはただ一つ。


あらゆる拒絶と失望が今の君を導いた

失敗や挫折は苦しい。しかし、それらがなければ今の自分にはなれなかった。すべての苦しみが、私たちをどこかへと導く。


こっちに集中しろ。外から内へ時が過ぎゆくたびに人生のチャンスを失っている

今、目の前のことにどれだけ集中できているだろうか?過去や未来に意識を奪われ、今という瞬間を無駄にしていないだろうか?


選択の度に宇宙は新たに分岐する

どんな選択も、無限の分岐を生む。もし別の道を選んでいたら?その「もし」は、どこかの宇宙では現実になっているのかもしれない。


ベーグル(ブラックホール)にありとあらゆるものを載せた。希望や夢…

ブラックホールはすべてを飲み込むもの。しかし、そこには絶望だけでなく、希望や夢も詰め込まれている。何もかもが無意味に思えるときこそ、本当に大切なものが見えてくるのかもしれない。


真実なんてどうでもいい

私たちは真実を求め続けるが、果たしてそれに意味はあるのだろうか?大切なのは、自分がどう生きるかということ。


物事の良い面を見るのは甘ちゃんだからではなく必要だから

悲観することは簡単だ。しかし、どんな状況でも光を見出すことは、生きていく上で必要不可欠な力だ。


この宇宙で愛し支えてくれる人と出会えた

無限の可能性の中で、この世界で出会えた奇跡。どこかの宇宙では出会えなかったかもしれない。それでも、ここにいる。


何があってもあなたとここにいたい理由が。意味が分かった。

人は時に、なぜここにいるのか、なぜこの人と一緒にいるのかと考える。しかし、意味を探すよりも、ただその瞬間を大切にすることが重要なのではないだろうか。

一生はひたすら矛盾と混乱を続けている

人生に明確な答えなどない。成功と失敗、希望と絶望、すべてが入り混じりながら進んでいく。


みんな怖くて混乱しているから争うんだろ

対立の根本には恐れがある。違う価値観に出会ったとき、それを拒むのではなく、理解しようとすることで、新たな道が開けるかもしれない。


ルールはない。

人生に決められたルールはない。本当に大切なのは、自分の選択と、それに対する覚悟だけだ。


やっと私になれたわ

無数の選択肢の中で、本当の自分自身を見つけることができたとき、初めて本当に生きていると感じるのかもしれない。それは外側にコントロールされない自分


選択の度に宇宙は新たに分岐する

どんな選択も、無限の分岐を生む。もし別の道を選んでいたら?その「もし」は、どこかの宇宙では現実になっているのかもしれない。


宇宙は泡のようになっていて、無数に存在する。近くの泡はそれほど変わらないが、遠くの泡(宇宙)は大きく変わる

私たちの見ている世界は一つではない。少しの違いが積み重なれば、まったく異なる世界が広がる。


また、「出来ない」と言ったね。その意味わかってないね。宇宙はあなたが思うよりずっとでかい

限界を決めるのはいつも自分自身だ。世界は広く、可能性は無限にある。


この世界であらゆる失敗が、別の世界では成功に分岐する。

失敗は決して終わりではない。ただ別の可能性の一つにすぎない。


何もかも重ね合わせで振動している素粒子のランダムな再配列なんだ

人生もまた、無数の可能性の中で揺れ動いている。


何をしたって、ありとあらゆる可能性の海に押し流されてしまう。

選択の重さに囚われる必要はない。ただ流れの中で最善を選べばいい。


正しいなんて臆病者が人を型にはめる言い訳

正解などない。私たちは自分の道を決めるしかないのだ。


「もし」が現実になった世界が知りたい?

もし別の選択をしていたら?そんな問いが、別の世界では答えになっている。


本当に意味のある瞬間はほんのちょっとしかない

だからこそ、その瞬間を大事にしなければならない。


誰より愛情深いものは、誰より苦しむ

愛することは、痛みを知ることでもある。


ほら、均衡を取り除くのは時間の問題

どんな状況も、変化を避けることはできない。


この宇宙で愛し支えてくれる人と出会えた

無数の可能性の中で、この世界で出会えた奇跡。どこかの宇宙では出会えなかったかもしれない。それでも、ここにいる。


何があってもあなたとここにいたい理由が。意味が分かった。

人は時に、なぜここにいるのか、なぜこの人と一緒にいるのかと考える。しかし、意味を探すよりも、ただその瞬間を大切にすることが重要なのではないだろうか。


4件のコメント

  1. 今頃……笑
    観る観る……とずっと観る観る◯◯みたいでしたが、やっと観ることができました。

    いやあ面白かったです。
    真の主人公ってエヴリンでなくその夫であるウェイモンドなんじゃないかな?と思ってしまうほどでした。もちろん様々な世界でのエヴリンを演じきったミシェル・ヨーではありますが。

    「弱い夫」とか「ダメな夫」と虐げられても実は彼が最も精神的に強く、優しさを持ちながらエヴリンに影響を与え続けましたね。(初めの頃は某カンフースターと顔がダブってしまって切り離すのがちょっと大変でしたけど笑 実は天才子役と言われた方だそうですね)
    やはりこの「世の中は優しさ(愛)が大事」がテーマかな?誰かを倒す、戦うならばずっとその世界の中にいることになりますね。なるとさんがいつもおっしゃることと繋がります。
    さらに我々が住んでいる世界は実はちっぽけなものであることも。

    エヴリンが「私は何一つ取り柄がない」と言ったことに対し、ウェイモンドが「目標を立てては挫折し夢を抱いては諦めた。最低の自分を生きてる。(中略)でもこの世界の君は何でもできる。何もかもひどすぎるから」と言ったことはさらっと聞き流してしまうような地味な言葉のようですが、わたしには最も心に残りました。「誰もがいつでもどこでも変わる事ができる」そんな明るい未来を感じさせてくれるような頼もしい言葉に感じました。

    こうして紹介していただいたことで観るきっかけや氣づきを得て本当によかったと思います。ありがとうございました。

  2. エブエブ見ました。おもしろかったです。色々考えさせられました。なるとさんと知り合わなければ、絶対見ていない映画でした。東京講演会ランチ会に出席する者です。以前からyoutubeは見ていましたが、コメントしたことも無く、講演会はいつも予定がつかず見送っていました。今回ようやく参加出来ます。3月にお会いできるのを楽しみにしています。

    • 映画を共感していただいてありがとうございます。うれしいです。
      人により県は分かれるとは思います
      東京でお会いできることを楽しみにしています。
      成龍杜

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